地球人のみなさん、こんにちは。
凡人の深読みです。
選択肢を与えるというのは人を動かす上で大切なような気がします。「自分で決めた」という感覚はその人を動かす大きな動機になります。
残業する予定なので残業手当が欲しいという従業員がいました。フィリピンでは残業手当を目当てに長く働く人がよくいます。僕の会社では残業手当を出していないので、「無理です」と一言返すだけで事は済みます。そもそもその日に仕事が溜まっているのは準備不足が原因なので、よくもまぁそんなことが言えるなと内心は思っています。しかし今回の相手は少しデリケートな方なので選択肢を与えることにしました。「できない分は他の人に回す」もしくは「別の日で超えた分を休む」のどちらかがあなたの選択肢です。という感じです。いつも少し腹を立てて帰る彼女も今回は「自分が選んだ」という感覚があったのか知らないですが、すんなり後者を受け入れてくれました。
きっと後日私は働きすぎだとか言うような気がしますが、いつもよりはすんなりいきました。相当細かい話ですが、もっとスケールを広げても使えそうな気がします。
初めて5つ星ホテルに泊まった時に、飲み物は何にするか、と聞かれました。炭酸水をくださいというと「ペリエ、ウィルキンソン、ロスバッハーがございますが、どちらにされますか」ペリエを選びます。「レモンかライムをお絞りしましょうか」と来てレモンを選んで運んできてくれます。他にこんな接客をしてくれた人はいませんでした。というより選択肢を提示する接客をしてくれる人はその人だけでした。炭酸水ならペリエ、レモンは言われない限り出さないがデフォルトでした。
その人がものすごく印象に残って名前を覚えました。部屋に戻って支配人からの手紙を読むとその人の名前が最後に記載されていました。選択肢って心地よいと心底思った瞬間でした。
ありがとうございました。
Salamat po