地球人のみなさん、こんにちは。
凡人の深読みです。
最近は歴史小説にはまり、司馬遼太郎の作品をたくさん読んでいて、昔の日本男児のカッコよさに痺れています。戦国時代、明治維新前後、日露戦争と様々な作品を読んでいく中で、現代と当時の環境がどれだけ違うのかというのを痛感します。その中でも自分で気を付けている凡人の深読みが思う現代病を共有していきます。
- 志せる道がたくさんあって、分からなくなり諦める
- 簡単に快楽を得られるツールが身近にあり、一つの物事に集中しにくい
- 比較対象が有限から無限になり、自分を肯定できる頻度が少ない
1. 志せる道がたくさんあって、分からなくなり諦める
戦国時代から明治維新直後までは身分で目指すことがほぼ決まっているように見えます。武士なら近隣国の統一や天下統一を目指すのが当たり前。農家なら豊作や大きな家に仕えることを目指したり。農家が天下を目指すことをしないように、諦める領域が身分によって決まっていたので、それができないことによって欲求不満になることはないようです。
2. 簡単に快楽を得られるツールが身近にあり、一つの物事に集中しにくい
これは小説を読んでというよりは、フィリピンに来て人々がスマホへの快楽に中毒になっているなと思う頻度が増えたからです。自分のポケットに自分の欲求をすぐに埋めてくれる機械があるので、現実世界や一つのことに集中して考える、という行動自体が難しい時代なのかもしれません。
3. 比較対象が有限から無限になり、自分を肯定できる頻度が少ない
昔は市内で強ければこの世に怖いものなし!と言えた時代でしたが、今はインターネットにいけば自分より強い人は無数に存在し、自分の知性も、美も、資産もすべて自分より優れている人がいる時代です。こんな時代に自分を昔のように肯定できるようになるのは難しいのでしょう。
現代というのは無意識で生活していると怖いなと正直思います。
みなさんも、客観的に自身を観察してみるといいかもしれません。
ありがとうございました。
Salamat po